Monthly Archives: 2月 2024

抜歯

多分20歳前後の頃住んでた堺市泉ケ丘駅ロータリーにある歯科で治療した左上奥歯が、知らず知らずのうちに悪化し、根っこの方で化膿してたそうな。

かかりつけの歯科での治療も無理で、家の近くの口腔外科にて手術の上、抜歯した。

注射嫌いにとって口の中を何箇所も麻酔を打たれる恐ろしさたるや…

しかしながら流石の麻酔、効いた後は切られようが抜かれようが、骨を削られようがへっちゃら。偉いもんです。

かかりつけ医には一晩入院と聞いてたが、施術後すぐに帰宅。安静にとのかことだったので、この日は仕事はせず、自宅でみかんの木を伐採などしてゆっくり過ごしたのですが、麻酔が切れた後、徐々に痛み出し、歯茎の縫合が舌触り悪く、何より無くなった奥歯への喪失感たるや、何とも切ない。

翌る日から二日目の今日まで、漫画のように腫れるほっぺ、嫁におにぎり食べてんのか?満腹太(ウッチャン)か?などと弄られております。

歯は大切にしたいものです。

ボーはおそれている

はちゃめちゃ

現実、非現実の境とか無く、全てがボーが見てる世界。

ただ確実に言えるのは、ボーは母をおそれている。おそれの中で作られた人格が身の回りの事象がそこに起因してるよう。

偏った愛や、偏った富は歪んだ世界、世の中を作る?または歪んだ人格を作る?

何を伝えたいのか?何かを伝えようとしてる気がするけど、もうちょっとの所ではぐらかされる感覚。

自分ではどーにもならないから、誰かの考察を読もう。

以下追記

考察を読んで、感服。

餅は餅屋、どのシーンがどの映画のオマージュだの、何の隠喩かだの、そう言うの気づきながら観られるとさらに楽しめるかも。

見流してては勿体無いな〜と、つくづく思います。

Cupboard

KIJIRUSHI基本の食器棚

サイズやオプションを組み合わせていただいて、お好みの食器棚をお作りします。

幅・奥行き・高さの選択のほか、建具の仕様やガラスの変更、ベースを脚式にしたり、自由に組み合わせてください。

頻繁に使うお皿やグラスは上段に、大皿や土鍋など大きな食器や食品ストックは下段に収納。クロスやカトラリーなど細々物用の引き出しを配した素直な食器棚です。

お選びいただけるオプションなど詳細は価格表と図面をダウンロードの上ご覧ください。

また、オプションに記載のない仕様も、お気軽にお問合せくださいませ。

恋に落ちたら…

93年公開、デニーロが刑事役、ユマ・サーマンにビル・マーレイの共演ってだけでは全く予想できない意外とクリーミーな展開。

この頃の映画、観てるものが偏ってて、名優の作品でも掘り出し物が多い印象。決め手は邦題のダサさ(ダサい邦題の映画が面白いジンクス有り)にあり、かと。

あらすじは、デニーロがいまいち冴えない鑑識官。変な縁から金貸しのビル・マーレイから妙な恩返しとして送り込まれたユマ・サーマン、デニーロとの一週間の同棲生活が終わる頃、完全に彼女にイカれたデニーロが下した決断とは… といった様な筋書きなんですけど、舞台であるニューヨークの街の雰囲気、90年代的な空気、デニーロのアパートも感じ良く、何より当時23歳のユマ・サーマンが特に可愛い… 

僕がその立場でも、まぁ〜命懸けで戦った事でしょうよ(多分殺されるだろけど…)。

 

STOP MAKING SENSE

友達に再上映を教えてもらって観に行く。

少し前に話題になっていたが「アメリカンユートピア」の衝撃的なかっこよさに打ちのめされた自分としては、どーしても気になる。観ないわけにはいかない(しかも4k IMAX上映)。

本編が始まる前のIMAXのPR動画、あれ好きです。昔テーマパークで体験した(ような気がする)あの感じをいつも呼び戻してくれるワクワク感。は、さておき、お、これはA24が企画しレストアしてるのか…とかとか、、、

ライブが始まった。アメリカンユートピアしかほぼ知らない自分としては、あれがデビッドバーンの全てで、トーキングヘッズのほぼほぼ。シンプルなスーツとシャツにノーネクタイのスタイル、アコギ弾きながらベースの女子と奏で始める。

ステージは舞台裏のような粗雑な佇まいだ。飾らない感じが潔くていい。舞台上にはバミりのテープがいくつかある。演奏が進むたびに、その印の場所に舞台装置?ステージ?ドラムとかキーボード用の舞台が設置されていく。

そのようにどんどんと整っていくにつれ、演奏、会場の熱気が高まっていく。その後、中程に来たところでトーキングヘッズのデビッドバーン抜き(肉うどんのうどん抜き的な)なトムトムクラブの一曲を挟む。その後、多分このライブ一番のクライマックスでもあろう、塗り壁みたいなデビッドバーンのステージへと…

このスーツと肉襦袢にかなりのインパクトがあるから、そのことばっかにりなりそう(特に当時84年とか)だけれど、こちとらアメリカンユートピア観ているからか、そこは冷静に観たり、変に分析したり?してしまうのだけれど。

まず大前提として、この世界観や舞台の作り方、すごくカッコよくて大好きなのだが、(字幕だけど)この人の歌詞はとても簡単な言葉の繰り返し。繰り返し歌う(叫ぶ)ことでそこに意味が生まれていく。 動き?ノリ?踊り?もどれも別にテクニックを要するものではなく、衝動的に動いているようにも見える(んだけど、どことなく知的でセクシー)。楽器や音響、ライティングなど舞台装置に関しても、特殊な機材や効果があるというわけではなく、むしろ原始的とも言えるアナログなものがほとんどなんだけれど、角度やタイミング、レイアウトなど計算されていて、その結果とても前衛的に感じる。

自分のフィールドに置き換えて表現するとすれば、特に高級だったり珍しい材料を使うわけでもなく、特殊な加工機械を使うわけでもなく、手に届く一般的な材料と機械だけを使い、組み合わせて、一番シャレた家具を作っている感じだ。

そ〜いうのむっちゃ好き

彼は時の流れに身を委ねている。時間の経過が好きだと謳っていたのにも心が揺れた。今を受け入れ、むしろ愛し、自分のスタイルとして着こなしていく。決して時代に流されているわけではなく、自分らしく生きるために欠かせない本質を、本能的に捉えて自分の色で(きっとグレー)塗り替えているんじゃないか、と感じるショーだった